インスタ映え精神がアメリカの学生には難しい話

こんにちは、EXS International CEOのLeo Miyanagaです。

いやー、少しずつ涼しくなってきて、秋がやってくる気配ですね!秋といえばボクは「インスタ映え」が盛り沢山な季節だと感じていますが、そろそろインスタ映えという言葉も古くなりつつありますかね?

今年の初めには「インスタ萎え」なんて言葉がにわかにブームっぽくもなりましたが、そもそもインスタって、みなさんどれくらいやっているのでしょうか?

ところで、題名の通りの話です。

日本人のインスタは変

今うちで手がけているアメリカの学生向け日本留学プログラムに参加している学生向けに特別授業(2コマ使ってみっちり)をやってきたのですが、その中で日本人の(新しくできた)友達たちのインスタがなんか変だという話が出たんです。

簡単にいうと、「違和感いっぱい」という感想だそうで、どこがそう感じさせるかを聞いてみてピンときたことがあったので関連する話をしました。

劣等感にまみれる日本人

もう、見出しの通りなんですが、ボクは広い意味で、日本の皆さんをこう認識しています。

隣の芝はあおいという様な感覚はアメリカの人たちにもきっとあると思いますが、この概念を取り巻いているのが「劣等感」だと思っています。

単純にいうと、多くの日本人は基本的に自分が他より劣っているという認識の中に生きていると思うんです。

そして、その前提で話すと、インスタ映えが簡単に説明できます。

つまり、自分がデフォルトでは他より劣っている部分を、自分の人生がいかに素晴らしく、人にうらやましく思われるものであるかの様に演出するのがインスタグラム上の写真で、よりうらやましく感じさせるために、「盛る」し、「映え」を求める、そういうことです。

ハリボテの輝き

でも、要するに見栄を張って自分を大きく見せているわけですから、中身はスッカスカで、虚しいものです。

本当に起こっている出来事を何倍にも見せて、それを人が羨む様子をみて、満足しているという構図ですが、これについて留学生に話をすると、「とても変」と直感的に感じ、同時に、「でもそれで説明つくことがたくさんある」と話しました。

スノーの様なアプリはアメリカにもあります。アメリカで人気のSNS「スナップチャット」は顔認証にマスクをくっつける技術を先駆け的に導入しました。

でも、アメリカではそれは愉快であるというだけで、より自分を可愛く見せるという狙いは薄く、逆に日本では黒目を大きくして、小顎にして、そう、プリクラでも同じ方向性で”可愛い”を作ります。

実物と比べるとすぐに「詐欺写真」であることがわかるわけですが、それでもスノーで撮った画像、プリクラで撮った画像をLINEやインスタグラムのプロフィール画像に使う若い人がたくさんいます。

こうした虚像にアメリカの学生は違和感を感じ、変だと感じるのですが、同時に説明がついたと思うことの一つがとにかく彼らと一緒に写真を撮りたがり、それをすぐさまSNSに載せたがるというものでした。

彼らは、自分たちと仲良くなりたくてツーショット写真を求めてきたのかと期待しましたが、その後同じ子から特にアプローチはありませんでした。それを、自分たちがそんなに魅力的じゃなかった、関わって楽しくなかったからだと悩んでいた様ですが、実はいっとき、インスタ映えな写真を得るためだけ関われたらいいという考えがあったのか、という風に考えると合点がいったということです。

本当は英語が得意でもなければそこまで興味もない、国際交流にも関心はないが、外国からの留学生と友達である様な写真をSNSで流すことはやりたい、そんな日本人学生がたくさんいるということを想像して、がっかりしつつも、そういうハリボテの輝きが日本人にとって大事なのか、という学びを得ました。

まとめ

この話はその授業で出さないでおきました(ぐっとこらえました)が、日本は対アメリカでは日本は敗戦国で、アメリカが戦勝国、一時は統治されていた関係です。今の若者世代には関係ない様に見えても、対アメリカにおいて劣等感というものが根付いていても不思議ではありません。

日本文化にはたくさん素晴らしいものがあるし、守り、継承していかなければならないものばかりですが、閉鎖的で、例えばガラパゴス携帯の前例に見る様なものもたくさんあり、グローバル社会を訴える場合、変わらなければならないこともたくさんあります。

日本のいいところは、いいものをすぐに取り入れ、柔軟に日本のものとしてなじませられるとこでしょう。何もかもが西洋のものが優れているわけではありませんが、良いものは積極的に取り入れ、社会をよくしています。食にしても、衣類にしてもテクノロジーやモノにしても全てにおいてです。

ただ、精神は難しい。

古くから日本にある精神は自動的に親から子に受け継がれ、劣等感にまみれた日本人的感覚はなかなか消えません。

よく言えば、控えめ、謙虚、という認識になることでもあり、それは日本的考えで美徳の一つではありますが、例えば、「つまらないものですが」とお土産を献上するのは、、、、やりすぎだとボクは感じてしまいます。気に入ってもらえないかもしれないものですし、本当に相手にとてはつまらないものかも知れませんが、お土産において大事なのは心ではないか?と思うからです。

とは言え、最近では承認欲求なんて言葉もよく聞かれ、ほかより優れている、上であると見られたい、感じさせたいという欲求を持った人がどんどん増えていて、だから、劣等感を払拭するために自分自身に磨きをかけるのじゃなくて、人やもので自分の人生を大きく見せるという動きが起こっているとボクは感じました。

完全に外部の感覚でそれを見ている留学生が「変」と率直に感じるその様について、とても興味深く感じていて、これからまたいろいろな角度でこの件を考えていきたいなと思いました。

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