「周りと違うことは恥ずかしい」という日本での価値基準、本当にそれでいいの?関東の女子高生がスカートが短くて、関西の女子高生はスカートが長い理由とは?

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こんにちは。EXS代表のLeoです。

今朝、朝の情報番組「ビビット」で”夜回り先生”こと水谷氏がとても極端に聞こえる意見を放った件について、個人のブログで意見を書いたらアクセストップの記事になりました。

 icon-external-link 【ビビット】中学受験のための学校欠席の是非についての”夜回り先生”のコメントに不快感〜なぜ日本は「横並び」が是とされるのか!?

その記事は結構殴り書き(笑)だったのですが、その中で日本では「周りと横並び」であるべきだという考えがあるように感じていることを指摘しました。

賛否あるとは思いますが、これについてはEXSの仕事をしていても常日頃から感じていて、結構いろんな場で話のネタにしていたため、スラスラ考えが出てきたんです。

関東の女子高生はスカートが短くて関西の女子高生はスカートが長い問題

アメリカ側で学生グループをサポートする仕事がありますが、その学生たちは日本のいろいろなところからやってきてます。

団体をパッと見ただけでも学生たちの印象が違うことがあり、「地域性」的なものを感じることはよくあるのですが、そんな中、「関東の女子高生はスカートが短くて、逆に関西の女子高生は長い」という印象を持ったことがあったんですね。

地域的な要因だけじゃなくて、校則とか学校のレベルなんかも関係するのだと思うものの、気になったんで調べてみたら、確かにそういう傾向が見られるというネット記事が色々見つかりました。

理由こそわかりませんでしたが、その現象にとっても興味が湧きました。

で、関西の高校生、関東の高校生それぞれに、「スカートの長さはどう決めているのか?」と尋ねてみたのです。

関西、関東共に異口同音聞かれた答えが、

「みんなと同じ長さにしている」

というものでした。

自分だけ違うわけにはいかない、から

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「みんなと同じ長さにしている」

単純なイメージで申し訳ないですが、スカートの中が見えそうなくらいスカートが短い子って、「チャラそう」とか「遊んでそう」という印象をもたれると思うんですよ。

でも、じゃあスカート短い子たちみんながチャラいかというとそうではない(はず)。

どこから始まったか、誰が始めたかはわからないけれど、学校の大半がそういう長さにしていたら、他の多くの女子たちはそれに続く。多くの女子高生がスカート丈を設定する基準はそこだということです。

もちろん、「盛るんだ」とか「短い方が可愛いの」という考えで周りとは関係なく短くはきたがる女子高生も多いと思いますが、脚を見せて援助交際の相手を探しているっていうことではないですし、実際短いことが可愛くさせているのかも謎です。

「確かにパンツ見えそうとは思う」

と思っている子は少なくないようですが、それを「見えそうなのは嫌じゃないのか?」と問うと、

「でも一人だけ長いと浮く」

「自分だけ長いと変な子と思われる」

と答えます。

制服を着ていれば、基本的に「みんなが同じ格好をしている」状態になるわけですが、その中でもできるだけ”みんなと同じ”であることを重要視しているということが感じ取れました。

周りと違うことって恥ずかしいのか?

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逆に長すぎるのも長すぎるで、昔のスケバンみたいだなという印象を持ちますが、学校のみんなが長めにスカートをはいているなら、自分もそうしなくては、「浮く」、「変人扱いされる」、「友達から外れる」などの懸念があるからそういう学校では合わせて長めの丈でスカートをはく生徒がほとんどでしょう。

「周りと違うことが恥ずかしい」

結局多くの意見がここに行き着く気がしました。

うーん。

ボクはこの感覚がわかりません。

人ってそれぞれ違っていて、だからこそ面白いんじゃないかなって思うんです。

そりゃ、ある種の才能は世間に認められ、他の才能はそうでもないということはありますよ。

暗算が得意な人よりサッカーが上手い男子の方がきっと「モテる」。

レスリングで100連勝する筋肉女子より足がすらっと長い女性の方が「綺麗」って言われるでしょう。

でも、暗算が得意な人もサッカーのスターも、レスラーも足長ガールも、それぞれがそれぞれいいとこ、悪いとこあって、どれがNo.1ということはないですよね?

確かに全員がくるぶし丈のスカートの中で膝上25cmとかいう子がいたら目を引きます。

しかし、仮にその丈が校則上問題なく、公序良俗的な目で見ても問題ないなら、「そういうファッションの子」でよくないか?と思うわけです。

「あの子だけスカートの丈違う」と後ろ指指されることじゃあないのかな、と。

「自分らしく」あることは卑怯じゃないよ

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水谷氏は中学受験のために小学校を休むという行為を「卑怯だ」と切り捨てました。

日程通り学校に通うことを「正々堂々としている」とし、そこから逸脱することが受験を有利に戦うための卑怯なやり方だと言ったわけです。

しかし、学校のルール上休んでも許される日数の範囲で休むのなら問題があるのか?というのがボクの考えです。

ちなみにボクは小・中・高と皆勤賞でした(*)。

中学受験の日も、遅刻ではありますが試験の後に駆けつけたから達成できました。

しかし、ボクが万人から褒められる小学生で、受験のために休んだ子が卑怯なやつと言われるなら、ボクは反感しか持てません。

「他のみんなが学校に行っているんだから、あなたも行きなさい、行かないのは卑怯だよ」

この論理がどうしても受け入れられません。

自分らしくあること>人と同じでいること

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学校を休むことも受験という戦争的な試練を戦う上でのいち戦略です。ルールに反しない範囲でうまくやった人が勝てるのです。総得票数で劣ったドナルド・トランプ氏が選挙に勝ち、世界一パワフルな力を手にいれたこともそうです。大統領選挙でのルール上、うまくやって、民意の半分以下の指示の中、大統領の椅子をゲットしました。

人と歩調が合わせられることも大事なスキルのひとつであることに間違いはありません。しかし、そこをmustなこととし、他とズレることを悪しきとすることで殺されてしまう才能や能力、人の魅力がある、それがボクの考えです。

ボクは縁あって、留学やホームステイに関わる仕事をしていますが、短期であれ、長期であれ、海外に出るという挑戦をする方に知ってほしいなと思うことが色々あります。

そのひとつが、今回指摘している「人と同じである」ことを美徳とする日本の文化に関わること。

海外に出てしまえばそれまで日本国内、自分の地域で「常識」だと思っていたことは見事に消し飛んでしまいます。

アメリカでは、「違う」ことが当たり前。同じである方が違和感があるんです。

肌の色、人種、言語、宗教、好きなスポーツチーム、お風呂で最初に洗う体のパーツ、みんながみんな、十人十色です。

「郷に入っては郷に従え」の精神は大事ですが、自分の中にある「自分らしさ」大事にし、育てる。

留学生活の中でそんなところにもフォーカスを当ててもらえたらな、と思っています。

人と違うことは決して恥ずかしいことではありません。

足並みを揃えられることも大事、しかし、「自分らしくあること」の大事さに気づいてもらえるようなプログラムづくりや想いの伝え方を頑張って行きたいなと思います。

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